本当の意味で「強い動物」とは


当HPのブロガーである森 裕子さんが愛犬クーの生死の戦いを、いま、この瞬間みつめている。ダメかもしれないとのメールも来た。しかし、点滴後、口から水を飲み、立ち上がったという。一進一退の病状を繰り返す中、「元気になれば明るい顔でいたずらを始め、調子が悪くなるとそれを受け入れて、じっと耐える動物の姿に、与えられた生をありのままに受け入れる尊さが感じられます。」とのメールも頂いている。ともあれ、自力で立ち上がったなら、ひとたびは安心か…。動物を含め、私たちは常に生死の境にいる。以前、読んだ「エゾシカの森」(永田洋平著 偕成社)が…脳裏に蘇り、クー君に重なってくる。叙情に富んだ文章を要約する力は無い。心動かされた部分を抜き書きしてクー君に贈りたい。


「エゾシカの森」の写真
エゾシカの森

「移住性動物の愛とせつなさ」

エゾシカが子どもをもつのは、毎年6月から8月の夏のさかりの頃。しかし、強力な牙や腕力もなく駿足だけに頼って生きていくエゾシカに悠長な子育ての時間はない。生まれたてのベビーも分娩後の母親もいち早くその場を立ち去らなければならない。生まれて一時間ほどなのにおぼつかない足取りで藪の中から飛び出してきたヤンチャ坊主を母親が小突きながら必死で藪の中に追い返す。「それ以外に、何ひとつ、身を守る安全な方法はないのである。とにかく、その場から去ることと、早く走ることを身につけることが至上命令なのだ。」(P27 11~13行)


「本当の意味で強い動物とは」

「エゾシカもエゾウサギも、オオカミのような頑強な牙も持たず、ヒグマのような強大なからだも腕力ももたず、いずれもバネのような脚力と、しなやかさと、軽快なその疾走力によって、終始、敵から身を守ることに徹してきた動物である。(中略)ほんとうの意味で強い動物とは、腕力や牙ではなく、いつの時代にも適応能力を広くもち、自分の子孫を安全に、確実に後世に残していく生き物であることをこれらの動物たちが身をもって教えているのである。」(「はじめに」から原文のまま)


エゾシカ雪原の恋の写真
雪原の恋

「エゾシカの機動性」

エゾシカの俊敏で繊細な習性が語られている。時速70キロ以上ものハイスピード。一直線に疾走する駿足は、立ちはだかる障害をものともせずに、低地の沼の岸であれ、森であれ、岩場や峡谷さえも、きゃしゃな足で息も乱さず越えていく。時には、3~4メートルもある岩や氷のクレパスさえも生まれ持ったジャンプ力で飛び越えていく・・・。ほかの動物には真似ができないであろう息をのむような光景。著者は「この生き物に羽が生えていないことが不思議に感じられる」と述懐している。 


「エゾシカはどこから来たか」

5万3千年前、ウルム氷河期の初期、陸続きであったシベリアや樺太から北海道に渡ってきたとされる。明治の初期には、数十万頭も生息。しかし、明治12年と36年の二度にわたる大雪の災害で野生シカは人目につかなくなったが、絶滅したわけではなく、昭和40年頃になると北海道の東部で見られるようになる。一頭の逞しいオスジカが群れを統率、その周りに小鹿を連れたメスジカが従っている。生まれてくるオスジカとメスジカの比率は同数だが、成長するとオスジカは群れを追われる。追われたオスジカは新しいハーレムを作る。このサイクルを繰り返しつつ彼らは領地を広げていくという。


百年前の天敵はエゾオオカミとアイヌの人たち。しかし、明治初期の災害でオオカミは、ほぼ絶滅。残ったオオカミも放牧馬を襲ったのでヒトの手によりに毒殺された。更に、アイヌの人たちが狩猟生活をやめたことと、国が禁猟の法律を制定したことで、エゾシカには幸いが重なった。 

「強大な牙や腕力だけでは、けっしてこの地球上に君臨できない」という教訓をここにも残したのである。事実、食性が肉食よりも植物性、あるいは雑食性の方に自然はいつの時代にも、より大きな支援を与えている」(P18 10行~13行 原文のまま)。「ちなみにウマは草や穀類しか食べないが、エゾシカはそのほかに、樹木の皮やその葉や、キノコのような菌類や、地衣類」まで好んで食べるし、ときには肉でさえ食べる。」(P23 12~13行 原文のまま )


エゾシカ母と娘の写真
母と娘

「からだのひみつ」

シカは偶数の足指をもつ。「凍った地上から、木の実や草の根を引っ掻きだすにはふさわしい作りをしている。ことに、水草を好んで食うこの動物は、クマでさえ嫌う水の中にも平気で入っていく。こうしたとき、この動物の細い足は、深く泥や砂に突き刺さるが、却ってこのことが、泥や砂の中に隠れている植物の根の、みずみずしい部分を掘りおこすのに役だっているのである。」(P24 1行目~9行目原文のまま) 


エゾシカを野生地で遠くから見分けることは難しい。その理由は毛の色が地味であること。それが背景に溶け込んで彼らを保護している。角はオスジカだけがもつ。「毎年、冬の終わる頃に抜け落ち、春の始まる頃、また、新しく生え変わる。」(P31 1~2行 原文のまま)この角は、外敵から身を守るためというよりは、繁殖期にメスを争ったり、縄張りを争うオス同士の戦いや誇示のための道具だと考えられている。

 身の回りに起きてくる全ての条件を受け入れながら柔軟に生きていくエゾシカ。彼らは間違いなく北海道が誇るべき財産なのだ。