三浦 環も唄った! 夢も濡れましょ 汐風 夜風


 

「夢も濡れましょ。汐風 夜風 船頭可愛や」…何を隠そう。この歌を朝となく昼となく口ずさみつつ過ごしている今日この頃。

 

NHK朝ドラ「エール」の大フアン。先週はプリマドンナ三浦環氏の人生劇が挿入された。根が物好きな私のこと。彼女について、もっと知りたい!確かどこかで読んだ筈。

 

そこで思い出したのが30年も前に母から贈られた一冊の本。

 

本棚にありましたわ!

 

送ってきた理由は、この本に母の実父の従妹であるアララギ派歌人の原阿佐緒が収載されているからだ。仙台に「原阿佐緒記念館も建ったよ」とご丁寧に家系図までも添えてきた。

血縁的に薄い繋がりとはいえ、母には誇りだったようだ。 



 

さて、ここから本題!三浦 環氏は、明治33年に東京音楽学校に入学。「燃えるような緋の袴、紫の着物、白いリボンの若い娘が颯爽とペダルを踏んで(66頁引用)自転車通学。(読んでるだけでワクワクするわね)。カッコ良すぎのハイカラガールに当時の新聞が自転車小町などと書き立てるのも無理はない。男子学生が騒ぎ立てるのも無理はない。そして、その先はご存知の通り。「お蝶夫人」を引っ提げて世界を駆け巡るという光と夢の人生!「女の中の女」「永遠のお蝶夫人」こんな言葉が本文中に何度出てくることか。

 

だが、輝きの人生にも終焉はある。ガンに蝕まれた62歳の彼女を最後に看取ったのは、15歳も年下の筋骨たくましき、イケメンの青年将校であったという。戦後の混乱も収まらない昭和21年5月だったので、その墓はかなり長い間、山中湖畔の草むらの中に、石塔さえ建てられずに放置されていたという。芸術家を正当に認識しないのは日本人の習性。やっと最近になって三浦環の業績は正当に認識されだしたとのこと(89頁)。本の最後は「人生は短し、されど芸術は長し」の言葉で締めくくられている。 「恋と芸術への情念(講談社)」より。