或る日の新聞のコラム記事。漱石の「それから」


或る日の新聞のコラム記事。書き手は早大名誉教授の中島国彦氏。近代の小説に描かれた場所を実際に見てみたいと、明治時代の古地図を片手に東京の文京区を巡る。金剛寺坂を上り、伝通院の傍の小石川台地に出る。この時、「石垣が左右から細い坂道を塞いでいた」という夏目漱石の「それから」の一節が書き手の頭の中に揺れ動く。ここは、神楽坂に住む代助が、友人の細君三千代を何度も訪ねた場所だ。時には、緩やかな安藤坂を通ることもある。


いずれも、かつてあった江戸の大名屋敷や寺の名前から名付けられた坂。名作に出てくる地名とは、読むことを通して現実のものとなる言葉の世界そのものだと説く書き手の弁に惹かれ、名作「それから」に手を付ける。地名はまさに「言葉の持つ不可思議さ、うちに秘められた力を伝えるメッセンジャー」であるかもしれない。 



さて、後日のコラムが取り上げたのは「合成地名」だ。全国には,いくらでも事例はあろうが、東京の「大田区」命名の由来が、大森区と鎌田区の合併によるものだと知り驚いた。他でもない。私が10代を過ごしたのは大田区大森であるからだ。大森からバスで鎌田へ行き、鎌田から池上線で。沿線の御嶽山(おんたけさん)にある高校に通ったものだ。思えば、これらの地名の中に私の青春の全てが塗りこめられている。